一周年
独立、開業して一年が経った。日本の製造業をとりまく現実は更に厳しさを増している。企業の合併、子会社化など、産業界の再編がリストラという名のもとに進められている。
終身雇用制の崩壊、経営側に有利な解雇条件など、過去の制度に馴らされてきた従業員達にとっては経営側の勝手な変貌ぶりに怒りをぶちまけたいことだろう。だが、突き付けられた現実に吐き出し口も見つからず、不測の事態に対しての準備不足を自分自身で嘆く姿はなんともやるせない。
わたしはこう思っている。この流れは自然だと。突如としてこの現実が顕われたわけではなく、過去の経験をもとに、より必要にせまられて変化してきたものなのだろうと思う。
過去の経験(それは個別にそれぞれが異なるので)というつかみ所のないものを転がる石に例えてみる。企業の石とはいくつかの大きさの異なる石の集合体だと思 う。それらが会社というひとつの容器に入っている。本来、経験の質、実績によって石の大きさは決まるはずなののだが、年功序列の体質が残る企業においては 組織という枠組みがある以上、役職によってその大きさは決定されている。
今でも小さな町工場に行くとゴロという道具がある。見た目は、よく商店街の歳末セールの景品クジ引きなどで目にする、手回しで回転させて色分けされた玉がコロリと出てくるアレに似ている。何に使うかというと、数物の製品 の面取り、バリ取りなどで、研磨剤などとともに容器に放り込み、電動でゆっくり回転させることによって個々を擦らせ、表面を滑らかに、均一に仕上げる為の もので、構造は原始的だが意外に重宝する道具である。
企業の石はゴロのなかで擦れ合い、回転している。経営者はゴロの回転速度を調整するコントローラを手に管理し、電源は株主から引っぱっている。
ゴロのなかは死闘が繰り広げられている。衝突あり、角が取れ丸くなるものあり、砕けて砂粒になってしまうものあり、研摩されてピカピカに光るものあり、なんとか踏んばり角を死守するものありで際限がない。経営者は時折、やおら回転を緩め、容器のなかに手を入れ、余分なものを取り出し、不足しているものをあらたに投入する。
この時、経営者は何を基準に選別、ふるいにかけるのだろうか。
町工場の職人は音で判断する。音とはセンスでこの音が聞こえてこなければという音が既に頭のなかで鳴っている。
企業のなかにいたわたしは、小さいが硬い石だったと思う。容器の内側で様々な音を聞きながら、年とともにそこそこ角が取れたような気もするが、自己の粒子の密度(硬さ)を高めるように意識していた。
経営者がわたしの石をわし掴んだのと、わたしが容器の外に出たいと思った時期が幸運にも重なった。
わたしは容器を必要としない方法を探しながら、これからも転がり続けていくだろう。