昔の溶接工

溶接に関連する技術や機器の見本市である国際ウェルディングショーが東京で開かれた前々回のことであるから、もう5年程前のことになるだろうか。

当時、会社員だったわたしも研修目的で、東京ビックサイトに出かけたのだが、世界のメーカーが集結したその規模にまず驚き、最新の機器に圧倒されっぱなし で、何のどこを注目して観れば良いのかわからないままだった。そのほとんどがレーザーや電子ビームを使う大掛かりな設備機器だったり、ロボット、自動化さ れた溶接機ばかりだったからだ。

自動化の流れの勢いに、わたしは弾き飛ばされてしまうような感覚を憶えた。最新の機械に興味はあるが、規模の小さな会社ではとても手に届くしろものではなかった。会社の規模によってますます製造製品の品質、コストなどにおいて格差がひろがっていくであろうことを予感させた。

わたしの勤めていた会社では当時、半導体製造装置の真空チャンバーや附随する配管類を製造していて、それらの部品は少量多種に渡り、溶接に関しての自動化のメリットはあまりないように思われた。逆に、自動化しにくいものを掘り下げていくしか道は残されていないように思えた。

ビックサイトの会場 内を「残された道」のことをぼんやり考えながら歩いていると、ある担当者に声をかけられた。50代後半位の男だった。そこはプラントなどで使われる規模の 外径が600mm、板厚20mm程の固定管の突け合わせ溶接の自動機を実演していた。管に取り付けたヘッドがゆっくり回転し、パルス電流を使って裏波ビー ドが確実にきれいに出ていた。担当者と少し立ち話をした。

「現場の人でしょ、半自動?それともTIG?」
「TIGです」
今はね、こういう時代。俺も昔は手アークから半自動、TIGまでやってたんだけど、これが出てからはもっぱら機械の管理人みたいなもんよ、どう、重いもの持ってる?」
「はい?」
わたしにはその質問の意味がわからなかった。
「俺らの頃はさ、いっさい重い物なんて持たなかったんだ、だって溶接のとき手が震えちゃて影響があるだろ」
「え、そうだったんですか」
「付き人を二、三人ひきつれてな、俺は本溶接するまでの準備が終わるまで待ってるわけ。それで準備完了ってとこで俺の出番となるわけ。花道を通るみたいなものさ」

その話はかなりショックだった。年輩の旋盤屋さんから聞いた話を思い出した。昔の溶接工はかなり威張ってたもんだったよ。

「あの頃が俺の華だったよ」

大きなメーカーに所属し、定年までなんとか耐えて退職金をもらい、悠々自適に年金暮らしをする、そういう態度がわたしを不快にさせた。昔の溶接工が皆一様に威張っていたわけではないと思うが、そういう時代がかつてあり、そこを通過してきたという歴史が今にもつながっている現実は否定できないであろう。もちろ ん今はそんな時代ではないが、威張られた側からみれば、その記憶が消えることはないだろう。

わたしは今年40歳になったが、溶接業の未来が僅かながら自分の肩にもかかっているのを実感している。自分の技能や技術にプライドを持つのは必要だが、決して横柄になってはならないと思っている。