自転車のスポーク

師匠のEさんと出会うまで、わたしは漠然と溶接工の寿命は45歳位までと思っていた。周りの人にそう言われたこともある。

「溶接屋は目にくるだろ、アークの光にやられるし、老眼になると精密なもんは手が出せなくなるぜ。お前さんも、その後の事を今から考えておいた方がいいぜ」

わたしはいずれ現場から離れて、後任を指導したり、机の上で図面を拡げ、溶接施工の管理などをする自分の姿を思い浮かべたりもしてみた。が、それはわたしの柄じゃないと思っていた。

そんな時にEさんに出会った。わたしは30代半ば、Eさんは50代半ば、Eさんは現役で0,5ミリ厚のベローズをガンガン付けて(溶接して)いた。Eさんの 姿といえば近眼のメガネの上に老眼鏡を半分程重ねてかけ、観る対象物に合わせて器用に角度を変えて観ていたのだった。はたから見れば、奇妙で笑い出してし まいそうな格好だが、わたしはその姿に感動してしまった。

どれほど勇気づけられたことだろう。わたしもこれで60歳までは現役でいられると確信し、まだまだヒヨッコの自分を嬉しく思った。まだまだ知らない技術や技能、知識は腐る程ある、わたしにとっての溶接は一生をかけるに値する仕事だと思うことが出来たのだった。

Eさんはまた、電気にも強く、電化製品の修理もお手のものだった。従業員達が家からトースターやテレビ、ラジオなどを持って来ては、Eさんの所に持ち込み、直してもらっていた。

E さんと仕事を共にした溶接場の作業台の引き出しの中に、ある時、自転車のスポークがまとめて何本も仕舞ってあるのを見つけた。わたしは、Eさんは自転車の 修理もやるのか、しかもスポークの交換まで、などと思い、とても気になってはいたが、何に使うんですか?と、聞きはしなかった。

しばらくし て、仕事で使うわたし専用の回転溶接用の冶具を作るということになった(それまではこれまたEさん用のを借りていた)。これは溶接をやる町工場にはたいていあるもので、小物の丸ものを全周付ける時等、トーチを移動するのではなく、製品を回転する円盤テーブルの上に乗せ、トーチを固定したまま円盤テーブルを回転させることで全周付けしてしまうというものだ。陶芸の手回しろくろやテレビを乗せて使う回転台と大まかな構造は変わりない。ちゃんとした電動の回転ポ ジショナーもあるのだが、物によって、特に小物の数物等はこれの方が仕事が早く便利な冶具なのである。

この回転盤も工場によってそれぞれの 現場で工夫されてあり、わたしもそれまで数々の回転盤を観て来た。求められるのは、芯が振れずにスムーズに回転すること。ひどいものでは、アースの接触が 悪く、スパークしてしまった跡でガタがあったり、ある位置に来るとガクンと地盤が沈下するように傾いてしまう代物もあった。それでもそれらの工場では普通 に使っていたのだが・・・。

Eさんもそれまで数々の試行錯誤を繰り返して来たらしい。ようやくたどり着いた最終的な構造をもとに、幸運なわたしが設計し、組み立てることになった。

芯が振れずにスムーズに回転すること。これが目的である。円盤の芯に軸となるシャフト、そのシャフトの先端が接する底板、全体を支える三本足、と、それほど 難しい構造ではない。シャフトの上部と下部にそれぞれベアリングを合計二個はめ込むようにすれば、芯は振れずにスムーズに回転するはずだ。Eさんの初期の 回転盤は事実そうなっていた。しかし、Eさんはそれで満足しなかった。もっと軽くスムーズに回る方法があるはずだ。

試行錯誤の末、Eさんが たどり着いたポイントは、円盤の重さと、シャフトと底板が接する摩擦をいかに減らすかということだった。その結果、円盤は厚めで重くし、下部のベアリングはいらないという構造になった。シャフトの先端は旋盤のローリングセンターと同じように円錐状に尖らせて、底板に打ったポンチ痕にただ乗せるだけ。

冶具というのは、工場内にある端材で作る物である。その為にわざわざ材料を注文したりはしない。ステンレス材は高いので、鉄材を使う。シャフトの先端部分だ け貴重なSK材(硬めの材料)を円錐状に削って、いもネジで固定したまではいいが、底板がナマ材(軟鋼)では使っているうちにポンチ痕にめり込んでいって しまい、摩擦が大きくなる恐れがある。Eさんにそのことを問うと、お前、良い所に気付いたな、というように言った。

「底板のセンター部分だけ、材質変えりゃあいいのよ」

そんな魔法のようなことを平然と言われ、わたしは目が点になってしまった。

「こういう時に良い溶接棒があるんだがよ、知ってたか?」

わたしはただ首を横に振るしかなかった。Eさんはおもむろに作業台の引き出しをあけると、これだよう、と取り出した。あの自転車のスポークだった。

「バネ材だからよう、焼きも入るし、溶接棒としてちょうどいい太さだろ」

わたしはこういうアイデアを思い付くEさんに感心するとともに、こういう人に出会った喜びに自然と笑いが込み上げてくるのだった。

ナマ材のセンターに大きめのドリルで皿をもむ。凹みを作った部分に、紙ヤスリでメッキを剥がした自転車のスポークを溶接棒にして肉盛り溶接する。サンダ−で 平らに仕上げ、ポンチを打ち、バーナーで真っ赤にあぶり、さっと水につけ焼きを入れる。これで、底板のセンター部分だけが、硬い材質になった。

こういうことが経験、キャリアなのだとわたしは思う。ベテランの職人はそこにあるもので工夫する。昔に比べ手仕事が減り、機械化や自動化が進む時流のなか で、こういった情報がとても貴重な事だと思える。Eさんのような工夫やアプローチの方法は、おそらくそれ以前の時代から連綿とつながっているのだろう。そ してそれは何があっても引き継がなければならないと思う。わたしがこれから担っていく役割の一つだ。