センスとキャリア

わたしは今、溶接工として仕事をしているが、生涯を通してこの仕事をやっていこうと決断できたのは、二社目の師匠であるSさんと出会った事が大きい。

S さんはわたしに真空物の溶接の手ほどきをしてくれた師である。その会社は従業員100人以上の中堅企業で、福利厚生や事業設備もある程度整っており、新人 の教育に関しても時間をかける余裕を持っていた。そこは大手真空機器メーカの下請けで、製造部では主に半導体製造装置のチャンバー、配管部品などを製造 し、特に溶接に関しては親会社が独自の厳しい品質基準を設けていたので、何種類かのテストピースを提出し、その全てが基準をクリアしないと、実作業には携 わることが許されなかった。

思えば、入社試験もユニークだった。溶接工を中途採用する会社の多くは実技試験を設けていると思う。TIG溶接 であれば、ステンレスの板材(t2〜3mm)を渡され、まず基本の突け合わせ溶接をやらされるだろう。仮付けが正確か、本溶接のビードが真っ直ぐに引けて いるか、溶け込みの具合から電流と移動速度が的確か、そういった事を合否の判断材料にする事が多い。当然わたしもその気でいた。

ところが、わたし達が渡されたのは紙と鉛筆だった。Sさんはいくつかの複雑な形状の機械部品を用意していた。鋳造の後に、必要な面を削ったり加工したアルミ部品だった。

「どれか一つを選んで、立体図を描いて下さい」

それが唯一の試験問題だった。運良く採用された後、Sさんに聞いてみた。どうして、試験で絵を描かせたんですか?

「実は初めての試みなんです。今まで経験者、未経験者区別せずに何人も採用してきましたが、結局誰一人、ものにならなかったんです。経験者は経験上のクセを 持っています。それはそれでキャリアとしていいと思いますが、最低限、ここでの溶接の基準をクリアできないと仕事にならないんです。一年経っても悪いクセ が抜けない人には、はっきり言って他の部署に移ってもらいました」
「じゃあ、未経験者の方が教えやすいものなんですか?」
「それはありますね。クセがない分、俺のいうことを素直に聞いてくれるでしょうし。ただ、溶接に興味が持てない人にはいくら教えても無駄だと思ったんです」

Sさんの言葉の中には「こっちが疲れてしまうんですよ」というニュアンスが含まれているように思えた。

「それで、結局センスだと思ったんです。できる人は最初からある程度できちゃうんです。センスでできちゃうんです。でも、センスない人はいくらやってもできないんです。過酷な言い方だけど、そういう人には「向いてない」ってことを最初に言ってあげた方がいいと思って」

わたしはSさんの話を聞きながらビビっていた。Sさんに「向いていない」と言われたら「溶接」はあきらめて他の職種を探すしかないと思わせる迫力があった。

「で、絵を描いてもらえば、その人のセンスがある程度わかります。鉛筆を持つのとTIGのトーチを持つのほとんど一緒ですから・・・これから描こうとしている線にイメージが持てて描けているかどうかがはっきりわかります」

Sさんの溶接した製品は本当に美しかった。ビードの幅がブレずに揃っているとか、溶け込みが正確だとかだけではない、何か不思議な美しさを持っていた。仕事 が速くて無駄がなく、始めに完成品のイメージがはっきりあって、それをリプレイしているだけのようにも思えた。迷いが感じられない、といったら大げさかも 知れないが、今から思うとその時々の判断の積み重ねが製品に表れていたのだと思う。

Sさんはわたしのセンスを認めてくれた初めての人である。今でも仕事中に時々思うことがある。

「これはちょっとSさんには見せられないなあ」
「これはSさんに見せてちょっと自慢してみたいなあ」

仕事中、過去に出会った師匠達がわたしの現場を覗いているような気がしてならない。わたしはまだまだキャリアを積まなければならないと思っている。