地域ブランドとブレンド

この数年、めっきりコーヒーを飲まなくなってしまった。その昔高校生の頃、まわりに先駆けて、あの化学の実験器具と同じテイストを醸し出すサイフォ ンコーヒー器具一式を手に入れ、どこか儀式めいた気合いでコーヒーを淹れて口にし、好きな音楽を聞きながら悦に入っていた自分が恥ずかしながら懐かしい。

今の嗜好はもっぱら緑茶である。朝起きてまず緑茶、食後も昼も休憩時間も来客にも緑茶、出先などの状況によって仕方がなくコンビニや自動販売機で購入する時も迷わず緑茶を選ぶ。ただし、缶やペットボトル入りのもので「これはおいしい」と感心できるものに出会ったことはない。緑茶に限ったことではないが「淹れたてにかなう味はない」と飲料メーカーも前提にしたうえで「缶やペットボトル入りの飲料」として戦略を立て、努力し、販売しているのだろう。

恵まれていることに、仕事場の周りには狭山茶としてブランドを持つ茶畑が広がっており、馴染みのお茶屋さんからは、収穫時期のお知らせが届く環境にあるので、わたしはその度に新鮮なお茶をまとめて購入することにしている。そして、これが幸せなことにとてもおいしいのである。自分用の他にも、お中元やお歳暮 などの贈呈用としても先方が喜ばれることが多く、重宝している。

せっかくなのでそのおいしさを伝えたいが、わたしのような素人が味覚を言葉にするのはとても難しい。香り、色、味、どれもがすでにわたしの身体に馴染んでしまっているのもあるが、調和のとれているものは実は透明に近いのである。 渋味や酸味、苦味などを個別に感じるのではなく、その「調和そのもの」が「お茶のおいしさ」としか伝えようがない。

ところで、実は二年程前に地元の人に聞いて初めて知ったのだが、わたしが愛飲している狭山茶の茶葉の原料は静岡産茶葉と地元産狭山茶葉をブレンドしたものであった。

「静岡ナンバーのトラック、よく停まっているの見かけるでしょう?別に隠しているわけじゃないんだけどね」

その人の話によると、50パーセント以上の原料が含まれていれば、地域ブランドとして成り立つのだという。当時、「えっ、あんた知らなかったの?」という顔 をされ「そんなの今は常識じゃない」という言葉に少なからずショックを憶えたが、仕事場に戻り、包装袋の裏を確認すると消費期限とともに原材料名として狭 山茶・静岡茶と確かに明記されてあり「ああ、なるほど」と妙に納得したのであった。

たまたまわたしが選んだ狭山茶のその年の出来が良くてお いしかったわけではなく、そこには「玄人の手によるブレンド」というきっちりとした仕事が施されていたのである。ブレンドとは収穫高や品質においてその年の天候に左右される農産物を、商品として、ブランドが定めた基準に満たせるためには欠かせない作業であり、技術なのであろう。考えてみれば当然のことなの だが「調和そのもの」が玄人の手によるものだということにあらためて感心したのだった。しかし、だからといって、そのことを知る前と知った後でと、わたしの狭山茶に対する評価は変わらなかった。価格を含めたトータルでの「お茶のおいしさ」に満足しているからである。

ここで省みて自分が携る製造業を見渡してみる。品質に関しては、有害物質混入などの例にみられる中国製品を筆頭にガス器具や家電製品のリコール続出など、バッシングの嵐が吹き荒れ ているような状況である。過去、隠蔽してこれたことが時代の流れで露呈しやすくなったという見方もできるが、原材料の高騰、製造業のグローバル化、低価格 競争など様々な要因で、現実に品質自体が低下傾向にあるような気がしている。

それは全体ではなくてほんの一部だよ、といえないのは消費国のグローバル化や大量生産の量的な面においてその影響が大きく、印象として消費者に強く刻まれてしまったのと、わたしの現場においても上流から流れてくる材料や部品を手にして多々感じることがあるからだ。

半導体製造装置などで使われる真空配管部品類に関わるわたしの現場では、十年程前までは国内産以外の金属材料を使うことは少なかった。基準をクリアしなけれ ばならない規格部品である金属製継手などは半導体先進国である米国メーカーや独国メーカーの金属製継手が指定・支給された。そしてそれらはやがて規格部品 に準ずるものとして日本製のものも採用されるようになっていった。実使用での実績を積むことで信頼を獲得していったのである。それからぽつぽつと 「made in korea」製品が同じように採用され始め、最近では「made in china」製品を目にするようになった。

誤解しないで欲しいのだが、「made in japan」の材質が優れていてその他が劣るというわけではない。ここ五年くらいで「made in korea」の材質は今や業界の一部では着実に信用を得ており、コスト的にも有利なので積極的に採用され始めているし、板金用の薄板定尺物についてはそれ に先立ち、ここ数年のステンレス鋼価格の高騰の影響もあり、すでになくてはならないポピュラーな存在となっている。現場にいるわたしの感覚では、コストを含め、そのトータルな品質面において、もはや世界的に「made in japan」を「made in korea」が席巻しているのではないだろうかと思える。「made in japan」の材質は過剰品質だといわれようが、新素材開発に莫大な費用をかけようが、さらなる品質向上を求め、我が道をゆくといった姿勢を貫いてきたよ うに思う。その結果、製品のコストを下げることが難しくなってしまった。

最近、全材料支給ということで溶接を手掛けた真空配管の部品ではフランジが「made in taiwan」、引抜きEP処理管が「made in japan」、継手はあの有名な米国メーカーからの輸入品だが部品自体には「made in china」と記されてあるものが採用された。いわばブレンドである。そしてブレンドには相性がある。個々に優良でも組み合わせによってマイナス要因が生 まれる可能性はゼロではない。もちろん親会社が定めた基準をクリアする「玄人」が選んだ部品群で、ミルシートも添付されていたものだ。

実際にそれらを溶接してみて(たとえば粗悪品や何かしら良くない場合はアークで溶かした時に何かが微妙に起こるのだが、そういったこともなく)違和感はなかっ た。ただし、溶接中、溶接後に違和感がなかったからといって安心できるものではない。その後、製品は実用としてガス中や高温にさらされるなど、過酷な環境で使用されるからだ。場合によっては想定外の環境もあり得る。耐腐食性、耐使用年数など実用として使用してみないと正確にはわからないことも多い。そう いったリスクを回避するには事前にできるだけ最新の情報や過去の類似データを集めて分析することが最善だが、昨今の情勢ではそこまでしても限界があるのが 実状だ。人命に危害が及ばない点までの安全対策は絶対に確保し、その上で、ソフトウェアのバグと同じようにもし優良でなかった場合は、その結果にもとづき 改良、改善を淡々と重ねていくしかない。

先日の我が家でのことだ。「これ、わたしのせい?」ワイフがつい二週間程前に近くのホームセンターで買ってきたばかりの鉄製の中華鍋の底を指差してそう聞いてきた。

真新しい中華鍋は表面に錆び止めが塗ってあるので、使用前によく焼き、錆び止めを洗い流し、さらに油を引いて馴染ませてよく焼かなければならない。「鉄製の 鍋はこの使いはじめが肝心なんだよ」と自慢げにその作業をわたしが請け負ったので、最初の状態を良く憶えている。その丸い曲面は一枚の板を打ち出しではな く、簡易にプレス成形したものだが、板厚も薄すぎず、見た目も悪くなかった。タグには聞き慣れない販売会社名とともに、日本でも名高い金属加工製品産地で ある北陸地方の地名の住所と「made in japan」の銘があったので、最初は値段の安さに驚いたものの、少しほっとしたのだった。

ワイフが指差した先の鍋底には、小さな白い斑点がぽつぽつ見えた。「洗っても落ちないのよ」というので、指でなぞったり爪先で軽く引っかいてみると、斑点には僅かな凹みがある。明らかに孔食(局部的に金属表面の保護皮膜が破壊された状態)だった。信じられなかった。金属表面と外部からの何かが化学反応しての結果なのだが、金属表面部の組織が不均一であることの証拠でもある。キッチンで普通に使い始めて二週間でこれでは相当な粗悪品であるといえよう。これは推測でしかないが、粗悪な材料は正規なルートをたどって仕入れたものではないだろう。その後のプレス加工を国内で行っただけに「made in japan」という銘を付けて販売したのであろう。もしかしたら販売会社は名のある北陸の住所を借りているだけで、実働しているのはどこか他の地かも知れ ない。咄嗟に疑惑が浮かび、そう勘ぐってしまう自分が嫌になると同時に、何とも非常に残念な気持ちになってしまった。その製品については「ブレンドの玄 人」が存在していなかったのだ。そして、こういった例は、それだけで「made in japan」ブランドの印象を失墜させるのに充分な効力を持つ。

今、業界の中で「ブレンドの玄人」の置かれている状況は大変に厳しい。ヒステリックな霧の中を、いつか陽が差してくることを目指して淡々と突き進むしかない。耳を澄ますと彼らの声が聞こえてくる。

「だからお願いだ、邪魔だけはしないで欲しい。いいかい、素人が玄人の領域に手を出してはいけないんだよ」