なわとびのすすめ

今、国内の製造業の置かれている状況は大変厳しい。

ここに来て著しく景気が後退している原因は一体何だろうかと考えてみた。ここ数年 の原材料価格や原油の高騰、消費の低迷、企業間の吸収合併や業界再編、工場の規模縮小や海岸地方への移転、メーカーによる製品製造の内製化、価格競争の弊 害、積もり積もった偽装の露呈、BRICsの台頭、その実態が掴みにくい複雑なからくり仕掛けの金融ファンドの不安定要素等、エコノミストやマスコミの論者は様々な理由を並べ、結びつけ、いや、そのどれもが少なからず原因にかかわっているとわたしも感じることはできるが、それは要因であって、それらのから みあいがいわばバタフライ効果をともなうカオスの様相なので、パッと見で見えるようなものでないことは確かだ。

結局、わたしにはよくわからないのだという結論を出すことにした。自分もまた世界に含まれていて、仕事では製品を製造する側にいて、また、消費者としては消費を控えているのに、まるで部外者のようにその原因などを求めてしまう問いそのものが間違っているのかもしれない。

太陽電池パネル製造など次世代エネルギーを担うのに躍起な大手企業は新工場建設など大規模な設備投資に余念がないようだが、わたしにとって身近な現場である半導体製造装置にかかわる業界では昨年辺りから明らかに減速感があり、この先の見通しもあまり明るくなく、大手企業でも設備投資を控えているのが現状だ。 全体として試作や新規の半導体製造装置の製作件数は相当減ってきているのだろうと思う。

そのかわりとまでは言えないが、中古市場ではそこそ この需要があるのだと、ある関係者から聞いた。それまで数年間に渡って使用していた古い形式のものや過剰設備で眠っていたもの、事業撤退で企業が手離した ものや研究開発用に購入したものの使用頻度が少なくて比較的状態の良いものなど様々なのだが、最近わたしのところにもこれらの周辺機器が持ち込まれることが前より多くなったように思う。

水冷部の修理や部材の交換、補強溶接肉盛、真空フランジや継手のシール部の劣化に伴う部品交換、潰れたフレ キ配管部交換などのメンテナンス作業が中心となるが、それらがどのくらいの期間にどういう使われ方をしてきてそうなったのかを結果として実際に見ることが できるので、わたしにとっては参考になることが多い。数年前に原子力発電所内の配管でオリフィス下流部が内面の腐食や流体、不純物によって削られ(減肉)、必要な肉厚が保てなくなり、ついに破裂、噴き出した蒸気を浴びて点検作業員が亡くなるという痛ましい事故があったが、金属は長期の使用環境によっては驚く程腐食、減肉してしまうという事実を、メンテナンス作業を通してあらためて知らされる。年数を経るということはメンテナンスを必要とする度合いが増 すということでもある。

話は変わってしまうのだが、この夏の初め、仕事中にわたしは左脇腹部にかつて経験したことのない痛みに突然襲われ た。あまりの痛さに手足の先がピリピリ痺れてきて、痛み以外の感覚がなくなってしまいそうな恐怖に耐えながら土曜日でも往診してくれる町の病院に駆け込ん だのだった。「結石だろうと思います」と医者に言われ、痛み止めの注射を腕に打たれたが痛みは治まらない。精密検査が必要だと救急病院を紹介されて移動 し、そこで鎮痛剤の座薬を入れてもらってようやく痛みは治まったのだった。

レントゲンや血液、尿検査の結果「左尿管結石、左腎結石」と診断 された。ただ、その病院には治療に必要となる設備が整っていないので、紹介状をもらい結局別の病院に通院することになった。結石とは体内のカルシウムや シュウ酸などが何らかの作用で結びついてしまい小さな石ころのように結晶化してしまったものらしい。これが尿とともに体外に排出されれば問題はないが、そ の大きさや形よって体内に留まってしまうと、例えば尿管に詰まった場合は尿が流れにくくなり、内圧がかかって内部から破裂するような痛みを誘発するのだと いうことだった。

治療には「体外衝撃波結石破砕術」を用いるというので事前にネットである程度調べてみると、1970年代にドイツで開発が 進み、実用化された医療技術で、要は身体の外から衝撃波を使って体内に潜む結石をピンポイントで狙い打ち砕き、粉々にして尿とともに自然排出させるという ものだった。

「第二次大戦中にね、ドイツ軍が、ほらっ、映画観たことない?Uボート、潜水艦」

通院することになった病院の泌尿器科の主治医が「体外衝撃波結石破砕術」についての説明を始めてくれた。主治医は背格好といい、眼鏡に髭面の風貌といい、話し振りといい、どこからみて も「やくみつる」に似ていて、どことなく胡散臭さが漂うのだが、結石治療に関しては評判が良いらしい。

「そう、研究してたのよ、ドイツ軍が。この衝撃波を使ってね。敵の潜水艦の中の乗組員達だけをさ、ビビビッて、やっつけちゃうのよ。そいで、潜水艦をまるごと乗っ取っちゃおうってね」

みつる先生(仮名)は戦争ごっこのようなノリで、得意そうに説明してくれる。ドイツ製の治療装置を備え、最先端の治療法を行えるというのがこの病院のウリだ。

「だって、潜水艦て金属の塊みたいなもんだからね、金属ってやっかいなんだよ。共鳴しちゃったりね。波が干渉されちゃうんだかなんだか結局実用にはならなかったらしいんだけどね。でもほらっ、こうやってそれが現在の医療技術に貢献しているわけですよ。すごいことでしょう」

わたしは自分が結石になった原因は何だろうかと、それまでの数日間いろいろと考えてみていた。不摂生な生活だと言われれば痛い。酒も煙草も人並み以上に嗜む し、運動不足でもあるし、年齢による体力の衰えも実感することがままある。遺伝の可能性もあるのだろうか。郷里の実家にいる親に電話で報告した時、母親の 弟(叔父)と妹の旦那(義叔父)がやはり結石になったということだった。しかし、父方、母方ともそれぞれが7人、6人の多兄弟で結石とは無関係の親族はい くらでもいる。それとも食べ物や、栄養のバランスが悪いせいだろうか。わたしは乳製品が駄目で、牛乳にチーズ、それに牛肉も食べない。そうやってそれまで 自分の中に潜んでいたマイナスイメージを端から発掘していくことになってしまったのだった。気分的に憂鬱で、自分は何か悪いことをしてきたんじゃないだろ うかと、救いを求めるように何年も前に亡くなった祖母の顔を思い浮かべたりもした。

わたしはドイツの話はもういいから、みつる先生に切に結石になった原因を教えてもらいたくて、うずうずしていた。そして、聞いてみたのである。

「いやね、原因なんてわからないもんですよ。いろいろ挙げる先生もいるけどね。なる時はなっちゃうんですよ、結石なんてのはね」

みつる先生にそうあっさり言われ、拍子抜けはしたが、気分的にはずいぶん楽になったのを憶えている。

「予防法といってもね、ま、ぶっちゃけ、ないですよ。そんなもん。なるときはなっちゃうんだから」

霧を吹き飛ばすように、マイナスイメージから解放してくれたみつる先生に感謝と好意を抱けるようになっていたが、ただ、あまりにもイイカゲン、いや、お気軽な感じにわたしは自主的に「それでも、これを良い機会だと思って楽しすぎずに、少しづつでも生活態度を改めよう」とその時、自分に誓ったのだった。

「治療を通じてこの先、生活していく上で、何か効果的な過ごし方っていうのはありますか?」
「ま、ありきたりだけど水分を良く摂ること。ただの水がいいよ。それとなわとびね」
「なわとび?ですか」
「こう、ドン、ドン、ドンって下に落としていくの」
「そんなんで落ちるもんなんですか」
「あなた、バカにしちゃいけないよ、なわとびを。いいんだから、なわとび(笑)」

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左尿管結石は二回の破砕手術(間に二週間を挟んで)で体外に排出された。その後、左腎結石の治療に移り、今現在までに三回行っているのだが、砕けきれずに今 も治療中である。腎臓の方は透過してみると肋骨の位置と重なってしまうため、ピンポイントで効果的に狙うのが難しいのだ。生活態度の方では意識的に水を摂るようにして、酒を飲む量をだいぶ減らした。それまでは酒を抜く日などなかったのだが、今は週のうち、二日だけは飲んで良いと自分に許している。

なわとびは楽しい。こんなに息が切れる運動だとは思っていなかった。たとえ八方ふさがりになっても、何かしら自分でできることがあることのなら、やっておいた方が良い。すぐに効果が現れるものだと期待するものでもない。なわとびは小さなジャンプの繰り返しだ。結石に限らず、飛び跳ねることで体の中に溜まっていた不純物を下へ吐き出すイメージは、なかなかの爽快感がある。

そういう時期なのだと思う。今、わたしそのものがメンテナンスのもなか、いや、最中なのである。