被曝した夢

先の晩、わたしは東京のど真ん中で被曝した夢を見た。

夢には過去にわたしが半導体製造工場のプラント設備の現場仕事(主に配管工事)に携わった経験がベースとして混ざっている。

半導体工場の建屋内のクリーンルームは塵埃が大敵で、それらを除去する為のフィルタを通じてクリーンな空気を循環させる空調システムが完備されている。ま た、半導体製造装置が据え付けられ、オペレーターが作業するフロアの床はたいていグレーチング構造になっており、それをいくつか外して設備工事の現場作業 員などは床下に潜り込めるようになっている。床下といっても、そこも一つの設備配管専門の階下フロアのようなもので、半導体製造装置に使う冷却水のポンプ や真空ポンプ、熱交換器、純水装置、ガスボンベ、薬品タンク、電源設備などが据え付けられ、それぞれから複数の配管やケーブルが立ち上がり、複雑に曲がり くねり、他の電源ケーブルの束とともにグレーチング下の頭上の空間を占拠しているような感じになっている。配管内を流れるの流体の種類を表す化学式記号 や、流れる往復の方向を示す矢印のステッカー、バルブの開閉状態を示すプレートが目立つ場所に表示されている。階下の作業スペースは場所によって異なり、 装置や配管の密集度によってもまちまちで、普通に歩ける所もあれば、中腰で作業するところ、場所によっては這っていかないとたどり着けないといった場合も ある。古くなった装置を撤去し、最新の製造装置を導入するなど、設備を更新する度に作業員であるわたし達は限られたスペースを工夫して生かそうとするのだ が、先人が後先のことを考えずにその場しのぎで設置してしまっている痕に出くわすとうんざりすることもある。クリーン服に身を包み、帽子にヘルメット、マ スクにオーバーシューズ(靴カバー)での作業、その不自由なわずらわしさには慣れることがなく、階下の狭い空間、潜っての作業、独特の閉じ込められている 感が相まってうんざりさは倍増させられる。だが、メンテナンス作業というのは基本的にそういうものなのだ。そういう状況の中で客先の要望に応え、問題を解 決していくことが仕事なのだった。

その夢の中でわたしは何らかのトラブルが進行中の原発の復旧作業員だった。原発プラントは首都東京のど真ん中にそびえ立つ二つの超高層ビルの屋上と最上階に 組み込まれてあった。何らかのトラブルとは夢の中の出来事なので確かめようがないのだが、起因は今回の東日本大震災のような地震や津波に由来しており、現 在は火災が発生しているらしい事故の雰囲気があった。誰かから説明があったり、詳しい情報を得てからそこに乗り込んだのではなく、気がついたらいきなりそ ういう状況に放り込まれていたのだった。

わたしの居場所は原子炉格納容器が設置されたフロアのグレーチング下の階下フロアで、段差で一段低 くなっている一角には、上部格納容器から漏れ出たとしか考えられない水がたまっており、頑丈な金属製の柵に囲まれて上階の格納容器と配管で繋がっている設 備が浸水していた。本来あってはならない場所にある水を、限られた手持ちの道具で一刻も早く抜くことがわたしの任務だった。

グレーチングの 上から漏れてくる明かりだけでは薄暗く、懐中電灯で一通り辺りを見回してみる。衝撃で一度振り切れたのか針の先が曲がった圧力計、ショートしたのか電磁弁 のケーブルの被覆が溶けてむき出しの銅線がハの字に断線している。フロート式の流量計のガラス部にはクラックが入っている。他に同僚も人影も見当たらず、 どうやらわたし独りでの作業らしかった。

万が一のことを想定した排水溝も設けられていない古い設備らしく、もちろん非常用の吸水ポンプなど もない。手持ちの道具はセーム革数枚とプラスチック製のバケツのみだった。わたしは段差の外側から手を伸ばしてセーム革を水たまりに浸し、たっぷり吸水さ せてから取り上げ、それをバケツの中で絞るという作業を繰り返した。セーム革数枚を効率的にローテーションさせる方法を工夫する。そしてそれをえんえんと 続ける。また、絞りながらバケツに向かって「溜まるな、溜まるな」と胸が痛く、苦しくなるほど必死に念じるのだった。バケツがいっぱいになってしまうとそ れでお手上げだからだ。この狭く限られた階下フロアに水を排出する場所などどこにもない。夢の中ではその念がなんとか通じて、バケツが満杯になることはな く、一連の作業を続行することができていた。「良し良し、うまくいっている」と自分を鼓舞する。

が、ふと気付くとわたしは素手で作業をして いたのだった。「手袋を外すなよ。それから液体にはむやみに触るな。薬品てのはどんな毒性があるかわかったもんじゃねえ」今は亡きプラント設備現場仕事で の師匠に昔、口を酸っぱくしていわれたことを思い出して、唖然とする。やっちまった感が背筋を貫く。「作業員の初歩的ミスが被曝の原因」「現場に不慣れな 非ベテラン作業員が被曝」そんな新聞の見出しが脳裏をよぎる。この水に放射性物質が含まれているのは間違いない。しかも、おそらく多量にだ。わたしは確実 に被曝してしまっている。嗚呼!なぜ、手袋を。いや、もうそれはやっちまったことで、今さらどうにもならない。それはあきらめよう。もうこの時点で家族と は二度と会えないだろうと腹を括る。いいから落ち着け。頭を切り換えろ。パニクるんじゃない。今、そして次に何をすべきなんだ。まず、現状を見よう。水は 確実に引けている。確かな成果があったじゃないか。良し、ここまでをO.K.としよう。いや、待てよ。おい、おい、浸水していた設備の背後から蒸気が出て いるじゃないか。見回すと、完全に吸いきれずに床に残っていた水がコンクリート上で蒸発を始めている。まさか、今度は水で冷却できずに、設備自体の温度が 上昇し始めたというのか。嗚呼、何てこった!

それまで良しとしていたことがある時点から悪影響を及ぼすことにすり替わってしまう。悪影響を 及ぼしていたと考えられていたものが実は延命処置としては有効であったりする。もはやわたしの頭では確かな判断ができなくなっており、手に負えない感に覆 われてしまっている。良いことと悪いことが同時に綱渡りのような不安定さで進行しており、それらがまるでオセロのように一瞬でひっくり返ってその時々の貌 を見せる。さらに体感温度が上がってきている。どこかを破損した設備が発する熱がフロア全体の温度を急激に上昇させている。とっさにわたしはバケツを手に 取るが、中にあったはずの水は空っぽになっていた。「溜まるな」と、わたしが必死に念じた行為はまったくもって間違っていたのかもしれない。これは相当に ヤバい。これは解決できない、ゼッ。退散だ。意を決して出口を探すと、壁に一つの小窓があるのに気が付いた。超高層のこの場所からならば今この時の外の東 京の夜景が一望できるはずだと覗いてみる。首都東京の夜の海、無数にきらめく光の粒が遠くに感じる。少し離れた場所で兄弟のように高くそびえ立つもう一つの超高層ビルの全貌が見える。向こうもこちらと同じく最上階にある原発がトラブルを起こしており、こちらよりさらに悪化が進んでいるらしい。

向こうの超高層ビルの最上階からはどす黒い煙が続々と噴出しており、それらは上空に浮かんで流れていくのではなく、ゆっくりと重く、下方に向かって垂れ下が るように流れ出している。放射性物質を含んだ黒い煙は空気よりも重いらしく、やがて地表に到達してぶつかると横へ横へと這うように拡散していくはずだ。首 都東京は壊滅してしまうだろう。なんて絶望的な景色なんだ。今、向こうの超高層ビルはまるで黒いスカートをはいているかのように見える。そのスカートの裾 が徐々に長く傾れるように広がっていく。

今いるこの場所も時間の問題で同じようにあの黒い煙に包まれるだろう。頭上からは煙が垂れてくるだ ろう気配を感じる。一刻も早く逃げなければ。出口を見つけて這い出し、駆け抜け、二重扉を開けてフロアを飛び出す。エレベーターホールに続々と作業員達が 集まり始めている。扉が開き、体育館のような広いスペースに移動する。そこで同僚達と無事を確認するように顔を合わせると皆、郷里の小学校の同級生だっ た。これからこの体育館のような巨大な箱ごとエレベータで降りて、とりあえずの場所までこのままバスのように箱ごと避難するらしい。

もう何年も会っていなかった友人を見つけ、懐かしさをよそに声をかけた。
「君はこの先どこに避難するんだ」
「伊那だよ」
思い出した。確か彼の父方の故郷が伊那で、誰も住んでいないが家も土地も残っているのだと聞いたことがある。
「そうか、イイナぁ」
そう言葉を発してから「この場に及んでダジャレかよ」と思ったとたんに自分が情けなく、被曝したことのあきらめ感、トラブルを解決できずに中途のまま逃げ てきてしまった負い目、家族との別れ、この先凄まじい勢いで放射能物質が広がり都市が壊滅していくであろうことなどの様々な思いが一度に押し寄せてきて、 倒れそうになる。

「そうだ」とわたしは思い出すのだった。「手はどうなったんだ。あの汚染水を素手で触ってしまった俺の手は」と。見ると肌 が紫色がかり、ぷよぷよとゼリー状にただれながら、見たこともない奇妙な形に変容していくのだった。生々しい恐怖だった。何一つ解決できないことの恐怖に わたしはどうしようもなく叫び声を上げたところで夢から目が醒めたのだった。

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今よりもっと情報が少なく、楽天的だった時代に先人達が様々な思惑を持ち寄って決議し、国のエネルギー政策の一つとして取り入れた原子力発電は、今、決定的な弱点をさらけだして歴史上の限界点にきていると思える。さらに一度手を出してしまった以上、この尻拭いは今後十万年に及ぶのだという。

うんざりするが、今の、そしてこれからの時代にそぐわない事はわたしたち大人がしっかりと現実を見極め、未来を見据え、しっかりと修整、構築してゆかなくてはならない。そのためには積極的に社会に関わり、例えば政治にも参加してゆく必 要があると思う。自分が死ぬまでに解決できる問題ではないが、生きている以上できる限りの事をしてゆく。まずは個人で。できる限りの事とはその大小に関係 なく。たとえ小さな事でも。自分ができることを考え、決めて実行する。なかには時間がかかることもある。人との間やその差に優劣はない。

失望?ずいぶんと人ごとだな。

失望する前にやらなきゃならんことはたくさんあるだろうによ。