追悼 遠藤勝美 3

遠藤勝美様 ご遺族の皆様

遠藤勝美さんの自称愛弟子の岩下と申します。

生前の遠藤勝美さんには、専門である溶接の仕事をはじめとして、公私にわたり、大変お世話になりました。

このたびはコロナ禍にあり、面会もままならずに突然にこの世を去られてしまった遠藤さん。残念でなりません。ご遺族の皆様方におかれましてもさぞかし悲しまれていることとお察しします。心よりお悔やみ申し上げます。

遠藤さんとのいきさつは、当時わたしが勤めていた会社(かつて三鷹市にあったS機械工業)の仕事上の取引先(F精工)の職人として知り合い、ある製品(難易度が高い溶接製品)を通して、それをことも見事に仕上げた遠藤さんの腕にわたしが一方的に惚れ込み、もっと教えを請いたいと、押しかけるようにしてわたしは当時の会社を辞め、F精工に転職し、弟子入りしたという次第です。

いろいろとあって、実際に一緒に同じ職場で働けたのはほんの数年間でしたが、とても濃密な時間を共有できたと思っています。間近で同じ空気を吸いながら見て感じた遠藤さんの溶接技術、腕、センス、そのどれをとってもピカイチでした。まさに名工中の名工という名にふさわしい実力の持ち主の職人でした。そういった師匠を持てたこと、それはまるで「宝を掘り当てたような幸運」であったと、今でも感じています。

その後も、職場は違えども師弟関係そのままに様々に楽しいお付き合いをさせていただきました。わたしが遠藤さんから学んだものは数限りありません。昔の職場の話、当時の溶接機や道具などを改造してこしらえた工夫、時代背景による技術の変換、そういった具体的な技術そのものから、ある時はふわふわとしたユーモアを含んだ空気の雰囲気作りまで。今となっては楽しい思い出しかありません。

もう、この世ではあの遠藤さんに会えないと思うと、本当に残念で悲しくてなりません。まだまだ聞いていない話がたくさんあるように思えてなりません。

遠藤さんと最後に会話できたのは11月5日(木)のことになります。実は前日に電話をもらっていたのですが、仕事中(現場出張)で出られなくて、日が明けてから電話したのです。電話口でモゴモゴと聞き取りにくい声でした。ろれつが回らないようで、とてももどかしそうな様子でした。以下、聞き取れなかった分も含めて再現してみます。

「岩下くんに、アタミの話、したっけ?」
「?アタミ、アタミって伊豆の熱海ですか?」
「カだよ、カ・タ・ミ」
「何ですか、カタミって、形見のこと?えっ、何いってるんですか」
「いや・・・もう長くねえんだ、わかるんだ」
「いやいや、何いってるんですか、まだ大丈夫ですって」
「わかるんだよ、俺には」
「そんなこと気のせいですって」
「前にな・・・・で・・・して(一生懸命話しているのですが、よく聞き取れません)・・・そうやって・・・で、プロペラが回るやつがあるんだ」
「?(聞き返すと遠藤さんの体力の消耗を招きそうなので、聞き返しませんでした)へえ、自分で造ったんですか、凄いじゃないですか」
「おうよ(自慢げに、笑)、それをとっといてくれよな」
「わかりました。遠藤さん、ありがとう。でもまだまだ、長生きしてくれなきゃ、ぼくも困りますからね。遠藤さん、大丈夫ですからね。また、電話しますから。」
「はいよ、じゃあな」
「はい、じゃあ、またですよ!」

それが最後の会話となるとは夢にも思いませんでした。死を悟った遠藤さんは、振り絞るようにして最期に「与えられた人生を最後まで生き抜き、俺は全うしたぜ」と師匠としてわたしに伝えてくれたような気がしています。

そして奥様、先日、遠藤さんの電話に出ていただき、ありがとうございました。それまでの数日の間というもの、胸騒ぎが収まりませんでした。明瞭に遠藤さんの最後の様子を伝えていただき、本当にありがとうございました。

尚、今も慌ただしいこととお察しいたします。少し落ち着きましたら必ずやご連絡いただければ幸いです。お線香を上げに是非とも伺わせていただきたく存じます(仕事中で電話に出られないときもありますが、折返しこちらからご連絡させていただきます)。

ここに、心ばかりの御香料を同封いたします。遠藤さんのご霊前にお供えいただければ幸いです。心より遠藤さんのご冥福をお祈り申し上げます。 

合掌

2020年11月